明治政府の失敗

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今回は宇藤さんから明治政府の失敗についてご説明していただきます。

明治維新は、薩摩藩と長州藩が主体となって行われましたが、江戸時代末期の薩摩藩と長州藩は、石高に比べて侍の数が多かったため、侍を食わせるために農民から年貢を搾取しました。そのため農民一揆が頻繁におき、鎮圧するためにさらに侍を増強しました。幕末期の薩摩藩と長州藩は元々財政的に苦しい中で、他の藩と比べて若年人口の割合が高く、社会的に不安定になっていたの二藩が生き残るためには、幕府を潰して権力を奪うしかない状況だったのです。

一般人が革命を起こして明治政府が出来たのではなく、侍が作ったので侍の都合が優先され、失職した侍達は佐賀の乱や西南戦争と言う形で叛乱を起こしましたので、彼らの矛先をかわして雇用確保するために海外進出(朝鮮の植民地化)を行う必要がありました。伊藤博文は、朝鮮半島はあくまで日本の保護国にとどめ、併合してはいけないと主張しておりましたが朝鮮人に暗殺されてしまい、また、朝鮮側によるハーグ密使事件のように外交的に混乱させる行為に日本は業を煮やし、結果、朝鮮半島を併合してしまいました。

当時の朝鮮半島は後進国だったので、開発の余地が多分にあり、莫大な投資を行う事で、財閥は莫大な利益を上げることができました。特に朝鮮の米の生産力が増えて、大量の米が日本に安く入って来る事で、日本の農民、特に米どころの東北地方は生活に困窮しました。本来なら、朝鮮のような田舎に投資するのではなく、日本国民に対して教育による投資を行い、生産性をあげるべきでしたが、当時の日本政府は朝鮮に投資を行えば、その結果、何が起こるかまで考えていませんでした。

どうしてこのような事に成るのかといいますと、大和朝廷の時代から明治政府樹立前までは、教育に投資を行っていたので、地方に投資する金があるなら、情報収集のための投資を積極的に行い、最新の知識、技術、情報を入手し、その成果物により利益を上げていました。しかしながら、明治政府樹立の際、薩長の地方侍が中心となって国を作ったので、このような古来から連綿と伝わる政治ノウハウを持たずに、国を運営してしまいました。

そして、その体制のまま現代まで続いているので、産業界大手は中国をはじめに海外に安く工場を造り、現地の安い人件費で労働者を使って製品を日本に輸出するという構図を取っています。これは、当時と今とで同じ家系の人が政治家になっているので、基本的にやる事が一緒だからです。今の政治家は同じような失敗を繰り返しているのに気づいていないので、非常に頭が悪い、ということに国民は早く気づかないと大変な事に成ります。

同じ失敗を繰り返さずに、最新の技術や教育にきちんと投資をするまともなリーダーへ変えて立て直したいと考え、今回、私は、今年の春に政治団体を設立します。設立当初より中心として参加したい、やる気のあるスタッフの方を募集しますので希望者の方は、2月4日までに、こちらのメールフォームからお申し込み下さい。


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